2025.8.5
JPホームサプライ株式会社は1985年5月21日に設立され、今年の2025年で創立40周年を迎えました。
これを記念して、諸先輩の方々が残された資料や聞き及んだ事柄から過去の苦難やその歴史(JPノーコア)を記したいと思います。
(尤も今となれば知る由もなく、真実と異なる点もあるかも知れませんが何分ご容赦願います。)
1971年4月に王子春日井にティッシュ工場が竣工し、王子ティッシュ販売株式会社(現ネピア)が設立される。
同年10月に日本紙パルプ商事株式会社の販売4部にティッシュ課が設立され家庭紙に本格的に取り組むことになった。
しかし家庭紙の流通経路は多種複雑なため王子も一般用紙とは異なるルートを使うこととなったため、同ティッシュ課は主にノベルティ向けを主体として営業活動をすることとなった。
1973年になり、販売に相当な苦戦を強いられていたこともあり、ティッシュ課の課長と課員が状況打開のためにはオリジナリティを出すしかないと思案を続け、たまたま紙菅のないトイレットペーパーを作れないかと思案し、側にあったトイレットペーパーを鉛筆に巻き付け巻き返した後鉛筆を抜き取ると、芯無ロールが手作りではあるが出来上がった、これがJPノーコアの起源となった。
これを機械化生産すべく王子(ネピア)、十條(キンバリー)、本州(ホクシー)などに相談するも関心はあるものの机上プランのみで終わってしまった。
ところがある日、取引先の富士宮の加工会社である富陽紙業の専務(後社長)が来社された際にたまたま芯無ロールを見て、是非やらせて欲しいと懇願され、芯無の巻取機械を製作し、製品が完成しJPが販売することとなった。
当時のJP社長より芯無ロールの特許申請の指示があり、出願を計ったところ、富陽紙業がすでに申請していたことが判明(1974年4月27日出願)、これを交渉しJPと共有することとし書類上は富陽紙業の特許を半分譲り受ける形となる(同年6月8日)。
1974年も後半に入り富陽紙業の経営が悪化、富陽紙業はトイレットロールの加工会社であり、原紙をグループメーカーから仕入れていた。
原紙納入メーカーは富陽紙業への債権確保にのり出し、 富陽紙業もメンバーになっている静岡の家庭紙メーカー8社(信栄製紙、マスコ-製紙、信州製紙、大門製紙、日産製紙、金長特殊製紙、三井紙商事(明治製紙・井出紙業・丸二製紙の共販会社))のグループから富陽紙業救済のためJPへ融資の依頼があった。
しかしJPの拒否によりこのグループが融資することになり見返りとして特許の富陽紙業の持ち分を信栄製紙を代表とするグループに譲ることにJPは同意することになる。
その後、結局は富陽紙業が倒産し、富陽紙業の加工機を押さえていた明治製紙がJPノーコアを生産することになるが、最終的にはこの明治製紙も倒産に至り、現在の特種東海エコロジ-となる。
洋紙全盛期の時代に芯無のトイレットペーパーを考案し、苦難の販売に尽力してきた偉大な先達に敬意を表するとともに、数奇な運命でその特許が世の中に広がり、現在に至っていることや、信栄製紙がOVOLグループとなり、家庭紙が主力事業のひとつとなっていることに、時代の流れ、隔絶の感を禁じ得ない。
この先の10年後、20年後、その先の未来がどうなっているのかは誰にも予測出来ないが、残された期間内において更なる発展に精進を傾けると共に、後輩達が新規開拓の意志やパイオニア精神を引き継いで必ずや将来更なる進化を遂げていることを強く願い、信じて止まない。
以上
キュイ